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昭和33年(1958年)、木造平屋のベット数床をもつ有床診療所として父一男が堀野医院開設。 その頃は個人病院や富田林病院もなく外傷患者及び手術患者を引き受けていたという状態ではなかったかと思います。自家発電もなく手術中に停電になり近所の自動車屋にバッテリーを借りに行ったこともありましたし、近隣の先生にも手術の応援にきていただいたように聞いています。 昭和40年には鉄骨2階建ての2代目の堀野医院が完成、18か19床の診療所でした。酒好きの父でしたから手術と手術の合間にコップ酒をひっかけていたのもこの頃のことでしょう。医者一人で入院患者を持つことに疲れたためか自分の時間を持ちたくなったためかわかりませんが、 昭和50年頃には入院をやめて外来のみの診療に変更し外国旅行・医師会・ロータリークラブ・短歌・英会話の勉強と診療より趣味に精を出していたようです。 平成4年3月に父が他界したため、阪大微研外科(現大阪大学医学部腫瘍外科)を退職し平成4年4月から私、堀野俊男が堀野医院を継承。 平成11年3月、3代目の堀野医院が完成し現在に至っています。
大学では消化器外科、乳腺外科を専門に診療を行っていましたが開業してからは「外科的な処置もできる内科医」をめざして診療にあたっています。 |
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